50年前の記憶 <豪雨災害以前の街並み>
三次ではちょうど50年前(昭和47年)の7月、豪雨に見舞われ、馬洗川の堤防が決壊し、市街地は水浸しとなりました。巴家の家屋は1.8mの高さまで冠水しましたが、幸い皆2階に避難して難を逃れました。
災害の後、新しく堤防を築くために川沿いにあった多くの家が立ち退きになりました。「弁天さん」の名で親しまれた厳島神社もその一つです。現在巴橋近くの河川敷の中に石灯籠(奉鎮燈)が立っていますが、元々はここにご本殿があったそうです。弁天さんの近くには旅館、映画館(東座)、食堂、美容院、銭湯などが立ち並んでいました。巴家の裏にあった酒蔵はこの時に買収、解体されました。巴家当主のおぼろげな記憶を唯一の手掛かりにできあがった50年前の地図がこちらです。多少の記憶違いはあるかもしれません。
当時、巴家の前の通りは賑やかな商店街で、多くの店が軒を連ねていました。石見銀山街道の名が示す通り、山陰と山陽を結ぶ交通の要としての役割も担っていました。